「教える」とは他人への慈善事業か

研究室の合宿でバレーボールを数時間やり、夜は12時過ぎからTRPGをするという強行軍をしたために睡眠欲がものすごい。。。。

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教えるとは、自分の知識を開示することであり、さらに手間のかかる行動である。 ましてや、教える相手が知識を得たがらないようなこともしばしばある。

さて、それならば、教えることは本当に必要なのだろうか。 自分でそのタスクをこなした方が早いのに、教えるという行動に意味があるのだろうか。

私は、複数の視点から「教える」ことが自分の利益にもなりうることを主張したい。

  1. 教えたことが相手にキチンと伝わっていれば、今度はその作業を任せることができ、自分はより高次な作業に集中できる。
  2. 教えるための準備を行うことで自分の知識の整理になり、さらに深い理解をすることができる。
  3. 相手からの質問を通して、新たな疑問や発見を得る可能性がある。

要するに、自分が成長するために他人へ教えるという動作が必要だと思う。