たまにはどうってことないことを書こう(1)

最近、インプットするための自分の時間が取れていないので、くだらない話をしてお茶を濁すことにします。多分今後もこの手のことをするので、一応(1)として。

とりあえず、どうしようかと考えて、食べ物の話でもしようと思います。


最近食べておいしかったのは、「幸せのパンケーキ」というお店のパンケーキで。この手のパンケーキ屋に初めて入ったけれど、こんなにふわふわな食べ物だとは思っていなくて、びっくり。

f:id:yanagi3150:20181110142407j:plain

バナナ&チョコソースなメニューを頼んだけれど、プレーンをメープルシロップでいただきたくなる素材のおいしさでした。

(ちなみに、同席した人はベリーソースのものを注文していたけれど、チョコソース以上にベリーソースの存在感が強くて、素材の味がどこかへ…。一度はプレーンが良さそうだなと思いました)

理論と直感の関係

一般に、理論と直感というものは対比して表現されることが多い。理論は静、青な世界であり、直感は動、赤な世界であろう。 しかし、クラシック音楽を多少たしなむ身として感じるのは、理論と直感の関係はそんなに簡単ではないということである。

音楽というのは一見して直感的、感情的で、時には攻撃的である。 しかし、殊にクラシック音楽というものには理論が存在し、音楽学という学問が成り立ち、楽典という文法書のような書籍まである。あきらかに「こうすべきですよ~」という原則が存在している。 つまり、理論と直感が同居しているのである。どういうことだろうか。


私個人は、以下のように考えている。

  • 理論とは、万人が受け入れるための土台。なんか嫌だなと思われないための工夫
  • 直感とは、自分の存在を主張するための創造。なんか好きだなと思われるための工夫

音楽で言えば、「特別好かれるポイント」がなければ人の印象には残らないし、「嫌われない努力」をしなければ曲名を探そうと思ってくれる人は少なくなるだろう。 理論だけでは自分らしさが立たず、直感だけでは共感してくれる人は少ない。どちらも持ち合わせることで、人口に膾炙しつつ、特徴を受け入れてくれるのだと感じる。


ところで、先進的な理論を用いて作曲されている方も多い。これは「この理論で曲を作り上げることで、新しい世界を開く」という考えは直感的であり、しかしそれが未来の「常識」になりうる世界であって、個人的にはとても好感を持てる試みだと感じる。(といっても、残念ながら私の音楽歴では理解できないものが95%以上なのだが…)

英語の勉強について

一応、8年前のTOEIC530点から、今年にTOEIC840点を取得した者として、少しばかり経験を語りたいと思う。 普段とは違う話だが、もしよければお付き合いいただきたい。

結論だけ先に述べておくと、英語は場数が必要だ。もしくはより一般的に、苦手・キライなことをできるようになるためには、必要に迫られる環境に飛び込むことが大切という教訓かもしれない。

あと、個人的にはある程度英語を使ってきた人にとってはオンライン英会話が良い選択肢のように思った。ただ、オンライン英会話の場合先生の質がまちまちで、「教える」ではなく「雑談する」先生も少なからずいる。初心者はベルリッツ等を選ぶ方が学習になりそうだ。


~高校

英語嫌い。中2の冬にして "I am like dogs" とbe動詞と一般動詞がごちゃごちゃ。「is, am, areって動詞なんだ!一緒に登場しちゃいけないんだ!」と学んだ次の瞬間に受動態 "I am helped by you" が出てきて致命傷を負う。

高校が英語に比較的力を入れているところであったため、すこし頑張る。でも平均点がやっと。

大学1~3年

英語を勉強する理由なし。大学の単位としては500点あればよかったし、まあクリアしてるし良いか。

大学2年に当時父親が仕事していた上海に初海外。が、英語はほとんど使わなかった。

大学4年

研究室に配属。英語の論文を読む羽目になる(それはそうだ)。読めない。やばい。でもなんとか頑張った。

大学院 修士1年

大学の教育プログラムで1回海外へ。英語でディスカッションつらい。時差つらい。眠い。

さすがに心が折れたので英会話をしたいと思った。が、そんなに自前のお金も積めなかったので、オンライン英会話をやってみる。(rarejobやってからweblioへ)

大学院 修士2年

2回海外出張。そのうち1つは行かない選択肢もあったが、博士の間に短期留学するつもりでもいたので経験と思い参加。オンライン英会話やってたけどやっぱりつらかった。 (少しはましになっていたはずだけど、思ったよりダメーって感じだった)

TOEFLを受け、64点(18-15-15-16)。まだまだという感じだ。

途中からオンライン英会話に飽きる。

大学院 博士1年

TOEIC 840点。正直、予想よりもはるかに高いスコアで驚いた。英会話の成果がそれなりにでていた。文法問題が感覚的に解けるようになり始めていたのも驚きであった。

1回海外出張で口頭発表。やっぱり質疑は難しい。

大学院 博士2年

3か月の海外留学。研究をすべて英語でこなしていたが、友達を作るという感じではなかったためにそこまで英語使って生活してなかったりする。まあでも結構勉強にはなったかな。

研究室に留学生が入り始める。

大学院 博士3年(現在)

TOEIC 865点。あまり大きな変化はなかったなあ、という感じを受けた。

研究室の留学生の数がさらに少し増え、日常的に英語を使う頻度が増えた。

やりたくないことほど こまめにやろう

微妙に体調が悪いことをいいことに、ノマドワーカーをしている。まあ、一応学生なので座席に居る義務もないし。


「やりたいこと」と「やらなければならないこと」というのは、一致しないものである。 例えば、掃除なんてものはキレイ好きでないと面倒なもので、やりたいとは思わない。

そういう「やりたくないけどやらなきゃいけないこと」ほど、こまめにやるのが良さそうだ。

やりたくないことをやり始めるまでには時間がかかる。 つまり、理性的には「やらなきゃなあ~~」と思っているが、感情的には「面倒だな~~」と思っている、葛藤の状態だ。

この「面倒」と思う時間の長さというのは、タスクの重さに応じて加速度的に長くなっていく。(経験則なので、万人には合致しないかもしれないが)

だから、こまめにやって、ちょっと頑張って習慣化させてしまおう。

f:id:yanagi3150:20181109112324p:plain

最初から難しい問題に取り組まない

微妙に風邪を引いたようで、喉鼻の調子が少し悪い。。。まあ、季節の変わり目に加えて睡眠不足気味なので、自然な結果である。


前に、「困難は分割せよ」という意味で以下の記事を書いた。 yanagi3150.hatenadiary.jp とは言え、問題を「想像可能・実現可能」な行動に分割するというのは難しいものだ。 「問題を分割する」ことも、練習が必要なのである。

そこで、分割の練習のためにも、「最初は簡単な問題に取り組む」ことをお勧めする。 そのまま取り組んでも大丈夫そうな問題について、分割を通して問題解決してみるのだ。

例えば、「書籍を1日1ページ以上読む」という問題に取り組むとする。そんなことやればできるのだが、それを「2~3分の時間を作る」という問題に置き換え、「スキマ時間を見つける」→「自分のスケジュールを確認する」、「興味のある本を見つける」→「書店に行く」と、複数の「行動」で記述する。 この練習をすることで、より複雑な問題にも、分割手法が使えるようになっていくのである。


  • やることの難易度をどう見積もる?
    → 分割の仕方がわからなかったり、「想像可能・実現可能」な行動に書き下せなかったらもっと難易度を下げて良いでしょう。
  • 早く大きな目標を達成したいのですが
    急がば回れだと思いますが、他者の協力を仰ぐことも良い方法でしょう。

良い雰囲気を作る

最近、ロジカルシンキングクリティカルシンキングの書籍を購入してしまい、読んでない書籍がどんどん増えていく。さらさらと読まないといけないなあと思いつつ。。。


前回の続き。良い雰囲気は作りたいですよね、どう作りましょうね、という書籍もいろいろあるものだが、 その中で、「部下に好かれる、嫌われる人は、ここが違う! 『愛され上司』になる方法」を個人的にはお勧めしたい。

いろいろあるが、一個人としてできることは、相手中心で行動するということだと思う。 前述の書籍のp.167には、例えばこんなことが書いてある。

相手の感情を「動きたい」と感じさせる方向にもっていっている(中略)人の心理作用を利用し、「感情的に」動きたいと感じさせている

あるいは、

人は、動く時に理屈では動きません。むしろ、理屈を言われても抵抗を生みます。大事なのは、感情です。

ということだ。 前回の記事で記述した「個々人が前向きに取り組めること」を実現するためには、相手の感情に寄り添い、「前向きになりたい」と思っていただく必要がある*1

前向きに何かやりたいと思う理由は人それぞれだ。「他人のため」「自分のため」いろいろあるが、その各個人に合わせて話しかけ方を工夫したりすることで、その集団の雰囲気は良くなっていく。そして、個人に合わせた行動をする、ということが相手中心の行動、ということと同義である。

*1:「前向きになりたい」と思わせる、という表現でないことに注意したい。「前向きに考えろよ」と言われても困るのはわかると思う。

良い雰囲気とはなんだろう

書籍を読んでいると、「良い雰囲気を作る」「雰囲気の良いチーム」「ムードメーカーになる」みたいな話が多い。 良い雰囲気を作るというのは、仕事という緊張環境においては難しく、かつ作りたいものらしい。

しかし、良い雰囲気を作る理由はなんだろうか。

中には、営業目的等、自分の目的を達成するためにチームを「利用する」論調もあるが、 目的は達成「される」ものであってするものではないと個人的には思う。 むしろチームの個々人が前向きに仕事なり、作業なりに取り組めることが本質であると信じている。

「目標数値を達成するために」雰囲気づくりするのではなく、 「1人1人が楽しんで仕事をするために」雰囲気づくりしたいものだ。

さて、じゃあ次にそれをどうやって作るか…は、次回以降の記事にゆだねたい。